平成16年からの新しいインスリン製剤の幕開け インスリンは糖尿病患者さんの「命の水」と言っても言い過ぎではありません。インスリンが発見される前の昔はインスリンがないために、多くの患者さんが口渇を訴えて亡くなりました。1921年にカナダのバンチレグとベストという医師と医学生の二人が精魂こめた研究の結果インスリンを発見し、これにより糖尿病は死ぬ病気ではなくなりました。これを記念してバンチレグの誕生日12月14日を「世界の糖尿病の日」としています。 その頃のインスリンは豚や牛の膵臓から抽出されたもので、注射してから体内で効いている時間が短いために、一日6回から8回注射するものでした。作用時間を長くするための研究が盛んにおこなわれ、レンテ系のインスリンが登場し中間型、持続型インスリンができました。これで糖尿病患者さんは死亡することがなくなり、各々の患者さんの病状に合わせたインスリン治療ができるようになりました。 しかし当時のインスリンは抽出技術は低く純粋なインスリンでないため、アレルギーを起こすとか、インスリン抗体が体内で作られインスリンの効きが弱まることが分かりました。純粋なインスリン製剤を作ること、人間のインスリンと同一なものを作ることが次の研究課題となりました。 これまで使われてきた豚インスリンは人間のインスリンとよく似ており、51個のアミノ酸で構成され、分子構造は51番目のアミノ酸アラニンをスレオニンに変えると全く人間のインスリンと同一のものとなります。豚インスリンのアミノ酸の入れかえは1976年デンマーク・ノボ社でなしとげました。ヒトに人間のインスリンを始めて注射ができるようになりました。人間の膵臓から人間のインスリンを抽出することは技術的にも、量的にも、人道的にも困難があります。この時から世界中の糖尿病患者さんは合成製剤ではありますが、人間のインスリンを注射することができるようになりました。 しかし世界のインスリン研究者の目標はさらに高く、人間の膵臓の分泌機能に近いインスリン療法にもってゆくことを目指しました。それがこれからお話する超速効型、超持続型インスリンです。その前に人間の膵臓のインスリン分泌機能についてお話します。 膵臓B細胞からのインスリン分泌はブドウ糖をはじめ多くの物質で起こりますが、ブドウ糖刺激が最も強いです。インスリン分泌の起こり方は食事に関係なく常に僅かずつ分泌される基礎分泌と、食事や間食によっておこる追加分泌の2つからなっています。食事によっておこる追加分泌は食事30、40分後に急峻におこり、60分もすると徐々に低下してきます。丁度水道の蛇口に例えると、水を必要とする時は栓をひねる、しめる動作があります。これが食物をとったときの追加分泌です。蛇口を半開きにして一日24時間、365日少しずつ止まることなく出ているのが基礎分泌です。 追加分泌に担当するのが超速効型インスリンで、絶えず続けて出ているのが超遅効型インスリンです。この2種類のインスリン製剤が治療に使われるようになり、人間の膵B細胞のインスリン分泌に極めて近いインスリン療法となりました。これで総べての糖尿病患者さんの血糖コントロールがよくなり、HbA1cが6.5%以下になるかというとそう理想通りにはいきません。 その理由のひとつは、インスリンが体内を廻る経路に問題があります。膵臓から分泌されるインスリンは門脈に入り、肝臓を通過してから末梢にゆきわたります。一方注射したインスリンは腹部または大腿の静脈に入り、心、肺を経由して末梢に届きます。従って注射したインスリンは肝臓における働きが小さいことになります。もうひとつの理由は膵臓の追加分泌は食事に際してだけ出るものではなく、間食をはじめ日常口にするものに対応して分泌されます。 遺伝子操作技術で完成されたヒトインスリンがさらにその分子構造のアミノ酸配列を変えたインスリン類似物質(インスリン・アナログ)を治療に使うようになりました。人間の叡智はとどまることなく、インスリン治療の新たな展開と画期的な進歩に続くものと思われます。 |