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病名「糖尿病」の由来について

  2006.11.11

 現在「糖尿病」は“diabetes mellitus”の訳名であると考えられおり、今回は、その経緯についてお話します。

 紀元前1550年ころ古代エジプト人はナイル河流域に自生する葦の一種であるパピルスを繊維にしてそのうえに記録を残しました。そのパピルスに「尿があまりにもたくさん出る病気」として記載され、これが糖尿病に関する最古の文献として知られています。

 その後西洋では2世紀頃カッパドキアの開業医であったアイタイウスが、糖尿病について「肉や手足が尿中に溶けてしまう病気で患者はひと時も尿を作ることを止めず、尿は水道の蛇口が開いたように絶え間なく流れ出す。しかも病気の本体は慢性で、形をとるまでに長い時間がかかり、ひとたび病気が確立してしまうと短命である。」と記述しており、ここからギリシャ語でサイフォン(高いところから低いところへ水が流れる)の意味を持つ“diabetes”という言葉がこの疾患に対して用いられるようになりました。

 一方中国では、紀元前水や食べ物が消える、通過すると言う意味の「消渇」が糖尿病を指し、紀元前250年ころに書かれた「黄帝内径素門」にも「消渇」の記載が見られています。

 ところで日本における糖尿病の歴史は大和国家が成立した西暦500年代にさかのぼることができます。当時朝鮮半島を経て中国医学を含めさまざまな文化が到来しましたが、「黄帝内径素門」もこの頃同時に伝えられました。その影響をうけて982年に書かれた日本最古の医学書である「医心方」には“消渇”と言う文語が認められています。

 この頃栄華を極めていた藤原道長(9661027)はわが国最初の糖尿病患者として広く知られています。道長は51歳頃から口渇や多尿が出現、その後は胸痛発作や視力障害に苦しみ、62歳で背部の瘍に離間し、おそらく敗血症から昏睡に至り没しています。江戸時代になると日本にも西洋の風が吹き、“diabetes”という言葉が伝わりました。 当時“diabetes”は日本語に翻訳することができず併記されていた“pisvloed”が“尿崩”と記されたと考えられています。“pisvloed”とはpis=尿、vloed=flood洪水、氾濫でまさに尿崩の意味です。

  一方17世紀に英国チャールズII世の侍医であったトーマス・ウイルス(ウイルス動脈輪:脳動脈の名前。を発見した人)が糖尿病の患者の尿が蜂蜜のように甘いことに気がつきました。尿糖の発見です。その後ラテン語の蜂蜜を意味する“mellitus”をこの疾患に付しました。このような経緯を経て、甘い尿を大量に排泄する病気は“Diabetes Mellitus”と呼ばれるようになりました。

  この“mellitus”という言葉が日本にも伝わるようになり、「尿崩」は「蜜尿とう」「蜜尿病」となり、蜜の成分が糖であることが知られて「糖尿病」と呼ばれるようになります。明治期には「蜜尿病」と「糖尿病」が混在して文献に現れるようになり、1891年までは「蜜尿病」が多く使用されていたがその後は「糖尿病」が多く使用されるようになりました。そして1907年の第4回の日本内科学会講演会後に「糖尿病」に統一されました。

  つまり古代西洋で“diabetes”、東洋で「消渇」と命名された疾病は、日本でオランダ語の“pisvloed”が「尿崩」と訳されたことで、尿の字が病名に組み込まれた「蜜尿病」「糖尿病」に引き継がれることになったのです。