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有名人と糖尿病

 2008.2.8

 2型糖尿病は年齢、性別、地域別、職業別、収入高別に関係なく小児から高齢者まで誰でもなる病気です。ただ社会生活の中で糖尿病があるために不都合なことが起こることがありますが(就職、結婚、生命保険加入時など)、ごく普通の生活をしている限りでは病状の悪化することはまずありません。しかし今の世の中は普通の生活を過ごすことの難しいことが多々あります。

特に日本人は義理、人情が重要視され、気苦労やストレスが重なって病状の変動することがしばしばあります。

忙しい社会生活の中で糖尿病患者でありながら、立派な仕事や優秀な成績をあげている有名人もいます。職業別で一人ひとり書きましたがまだまだいます。

野球——岩田稔投手(阪神タイガース) プロレスーーアントニオ猪木
俳優——藤木悠 作家————山田風太郎
料理家——城戸崎愛 相撲————隆の里関
政治家小渕恵三(元首相)  医事評論家水野肇
指揮者岩城宏之 華道家———假屋崎省吾
歌手——村田英雄  落語家———古今亭志ん朝

有名人の糖尿病療養生活についてあまり詳しくは述べられていませんが、夏目漱石の糖尿病生活についての話がありました(北海道医療新聞 2005年1月1日号 小竹英夫医師著作から)

漱石の糖尿病が発見されたのは明治41年1月に旧友菅虎雄氏宛に書かれた手紙の記載が始めてです。

「胃病で一寸医者に診てもらった時に尿検査で糖分が出ているといわれた。その尿糖を大学で調べて欲しいので、菅氏の親類に渡して調べてもらいたい。承諾してくれるなら小便をビールびんに入れて持参するからよろしく」という概略です。

つまり当時は血糖値が測れないので尿糖で診断し、治療をしていました。

その後8年間は全く糖尿病の記録は残っていません。

大正5年に京大物療内科教授真鍋嘉一郎先生に尿糖検査の依頼を何度もだしています。真鍋教授は漱石の赴任先であった松山中学校の教え子でした。恐らく尿糖検査は大学の研究室でしか出来なかったものと思います。

当時の食事療法は米飯を避けパン食とし、おかずは蛋白質でとるのが一般的だったようです。漱石の現存している献立は次のもののみです。

117日と8日     
午(昼) カマス2尾、パンとバター、ねぎ、味噌汁
牛、たまねぎ、ハンペン汁、栗8個、パンとバター
パンとバター、鶏卵フライ1個

当時すでに大文豪といわれた有名人にしては可哀想な食事内容です。この献立は漱石が死去する30日前の食事であり、大作「明暗」を執筆している時の食事です。これを書き上げようと全身全霊執念を込めていたことを想像すると凄まじい状況だったと思います。

大正5年1122日床につき129日に死去しました。解剖は東大病理学教授長与又郎先生が行い、胃潰瘍の大出血死と診断しています。

現代の臨床医学レベルからみると血糖測定もできず、糖尿病や胃潰瘍の薬もない時代で誠に気の毒な晩年だったと思います。